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■ イエスよ、我を憐れみ給え / ルカの福音書18:35~43 (2009-02-15)
「どうかこれだけは、この一つだけ、願いをかなえてください。」 あなたは、そう思うことがお有りだろうか? 一つだけ、である。そのことさえ、叶えられれば他のことはどうでもよい、とさえ絞りきれる願いがあるだろうか。 「どうか、私の人生を祝福してください。」と言った大まかなも...
ルカの福音書18:35~43
2009年2月15日
■ 9割は戻らず帰らず / ルカの福音書17:11~19 (2009-02-08)
25歳で小さい事業を始めた。 可能性無く、信用性無く、あるのは負債と若さだけ。 給料などまともに貰ったことはない。毎月が未払い。社長だから当然であるが。 ようやく事業が波に乗ったかと思ったら、オイルショックが来て、仕事はプッツリ切れた。 ...
ルカの福音書17:11~19
2009年2月8日
赦されざる者が赦された・・・ / マタイ5:23~24 (2009-02-01)
今週の主日、私は韓国にいる。 初めての国。日本に一番近くて最も遠かった外国。それが韓国である。 韓国教会からの熱いアプローチにより、私達の教会と交流が生まれた。 結果、初めての訪問となった。 私たち日本人には架け橋を掛ける事はできなかった。彼らが架け橋を掛けた。痛み...
マタイ5:23~24
2009年2月1日
■ 自然・不自然 / マルコの福音書4:26~29 (2009-01-25)
「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。」マルコ4:26~27 と、イエスさまは言われた。 私は何となく、この箇所が好きである。 ...
マルコの福音書4:26~29
2009年1月25日
■ 泥沼に咲く蓮の花 / 黙示録3:14~22 (2009-01-18)
人間が逃げられない二つのことがある。 人間は誰しも年をとり、やがて死ぬ。どうもがいても、こればかりは仕方ないことである。 もう一つ、人は生涯、罪びとである。 私の31年間の信仰生活で学んだ結果であり、事実そうであると思う。別にたいそうに言う必要もないのだが・・ ...
黙示録3:14~22
2009年1月18日
■ キリスト者は悟るべし / マタイ13章1~23 (2009-01-11)
「悟り」、キリスト教には関係ない言葉かと思っていたが、どっこいそうではなかった。 仏教は悟り、キリスト教は救いだと、仰った方もおられた。しかし、聖書の中に「悟り」と言う表現は相当ある。今日の聖書箇所だけでも5回出てくる。 ...
マタイ13章1~23
2009年1月11日
■ 神は愛なり / 申命記12:1~12 (2009-01-04)
年末から新年に変わるとき、何故か私は毎年、申命記の最後の章が心に浮かぶ。 どうしてか分からないが、過ぎ去った時間と、今、新しく始まる時代との境に置かれたからだと思う。 申命記34章、モーセが神のご命令によってネボ山に登り、ピスガの頂から目の前に広がるカナンの地を見させられ...
申命記12:1~12
2009年1月4日
■ キリストにとどまりなさい / ヨハネの福音書15:1~9 (2008-12-28)
今年最後の礼拝となった。 教会では幾つかのビジョンを掲げて取組むことが、方向性が更にしっかりして良いと思った。 そこで先ず、「弟子訓練」をあげてみた。 キリストの弟子を目指さずして、クリスチャン信仰の方向性は無い、とさえ思うからだ。弟子としての様々な奉仕と内容はあるが...
ヨハネの福音書15:1~9
2008年12月28日
■ アドベント4・神さまからの贈り物 / ヨハネ1章4と9節 (2008-12-21)
クリスマスは、神さまが人間世界に贈り物をされた日を記念して、生まれた日である。 贈り物は赤子の「イエスちゃん」である。 神さまの愛が形になった日だ。 ヨハネの福音書一章は必死にいのちをアピールする。 神は生きておられる!神は存在される!神は物ではない! ...
ヨハネ1章4と9節
2008年12月21日
■ アドベント3・主は真っ直ぐな道を来られる / マルコの福音書6:14~28 (2008-12-14)
人間、その心は必ずしも真っ直ぐな人はいない。 正しい人、善良な人は多い。しかし、真っ直ぐではない。 100%真っ直ぐな人間などいない、と思う。 「そんなことはない」と思われる人が仮にいたとするなら、先ず、ご自分を確かめていただきたい。そうすれば、他の人のことも、お分か...
マルコの福音書6:14~28
2008年12月14日
■ アドベント2・苦しみの場所で救われる / エレミヤ書29:1~14 (2008-12-07)
アドベント2週目のテーマは「希望」。 クリスチャンの目線の中には、いつも希望がある。見え隠れするときもあるが、決して消えない。希望は二つある。 一つは天国に行ける希望であって、これに関しては揺るがない。神さまが約束されたからであるし、イエスさまを通して、信ずる者は天国に...
エレミヤ書29:1~14
2008年12月7日
■ アドベント1・その日は来る / マラキ書3:13~4:1 (2008-11-30)
今年も既にアドベント(待降節)の季節となった。 主イエスのご降誕を待ち望むことは、現代であっても意味が深い。 21世紀のキリスト者として、イエスのお生まれになったことを考え、同時にやがて来るメシヤ(救い主)を待ち望む大昔、旧約聖書時代の民の心が偲ばれる。 ...
マラキ書3:13~4:1
2008年11月30日
■ 今だけの神、ですか? / マタイ16:24~27 (2008-11-23)
先週、TVで「特殊清掃業」に関しての放送を見た。 孤独死のあった部屋の処理業である。場合によっては、ひと月もの間、死んだことも知られない人もあっただろう。現代の悲しい断面を見た。 反面、部屋は死臭と他の生活面での匂いが入り混じり、凄まじい匂いだと想像した。 ...
マタイ16:24~27
2008年11月23日
■ どうか二番を一番に / マタイ16:24~26 (2008-11-16)
あなたの中で、誰が一番の価値を持っているだろうか? あなたの神(キリスト)はあなたの中で最も高い位置におられるだろうか? 質問が単純過ぎるであろうか? 愚問であろうか? そういった観点で考えるものではない、と言われるだろうか? ならば視点を変えて問う。あなたの神は何?...
マタイ16:24~26
2008年11月16日
■ この広き道、されど狭き門 / マタイ16:13~26 (2008-11-09)
アパ・ルームというデボーション冊子にこういう「証し」があった。 父を亡くした一人の兄弟は、父親の形見として遺品の中から、空っぽの財布を選んだ。 その皮財布の匂いを嗅ぎ、おそらく父も嗅いだであろう、皮財布の匂いを懐かしんだ。 ...
マタイ16:13~26
2008年11月9日
■ 横たわる現実 / マタイ16:13~23 (2008-11-02)
クリスチャン生活の最大の敵は「この世の現実」である。 どれほど霊的に高められ、聖霊に満たされていても、突然目の前に立ち塞がる現実からは、逃げることは出来ない。この現実の圧倒的な力の前にねじ伏せられ、ペシャンコにされる。 ...
マタイ16:13~23
2008年11月2日
■ エクレシアの力 / マタイ16:13~19 (2008-10-26)
「教会」と言う呼び名称は、いわゆるギリシャ語の原語から考えると、あまり相応しくないと思う。 原語では「呼び出された者」とか「召集された集会・集まり」である。 つまり、信者の集まりがエクレシアである。 しかし、信者ではない地域住民と社会環境からは、集会そのもよりも礼拝堂...
chofuminami
2008年10月26日
■ 汝はキリスト、生ける神の子なり / マタイ16:13~17 (2008-10-19)
人間、精密に考えると、その内側はいつも揺れ動いている、と思う。 キリストを主と信じることは動かずとも、主に従うと言うこととか、主を喜ぶこととか、主と共に生きるとかは、絶えず微妙に変化していると思う。 そこで、副題を「死んだり生きたり、眠ったり」と考えた。 ...
マタイ16:13~17
2008年10月19日
■ アシュラム / ガラテヤ人への手紙2:20 (2008-10-12)
今年も教会アシュラム(祈りと聖書の言葉の前に静まる集会)が巡ってきた。 ひたすら、聖書から主の言葉を聴く。 日常の生活と環境から離れて、主の前に静まる。 教会でこの様な集会が持てることは実に恵みである。 分かち合いとは、お互いによく知り合った者同士には難しいものがある...
ガラテヤ人への手紙2:20
2008年10月12日
■ 弟子はしもべ / マルコの福音書9:33~35 (2008-10-05)
ある日、イエスの弟子たちは道々歩きながら、仲間内で誰が一番偉いのか、熱心に話し合っていた。 私達もそういう議論は大好きだ。そして、そういうことを議論できる関係も「いいもんだ」と思った。程度は低いが、心の中にしまっておいて、思いを巡らすよりも、アッケラカンで良いと思った。 ...
マルコの福音書9:33~35
2008年10月5日




