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■ イースターから数日後・・・ / ヨハネの福音書21:1~22 (2008-03-30)
ヨハネの福音書21章のスタート、実に重苦しい。イースターは弟子達には訪れていないのだ。 日が昇る前、弟子達は漁に出た。舟を出し、網を降ろしたが魚は獲れない。 朝陽が上るころ、イエスは岸辺に立たれた。弟子達とは100m足らずの距離であったが、彼らにはイエスだと分からなかった。...
ヨハネの福音書21:1~22
2008年3月30日
■ 主はよみがえられた! / ヨハネの福音書20:1~22 (2008-03-23)
受難週からイースターまで三日しかない。 と、言うより、私にとって正味は土曜の一日だけである。 ヒジョーに真面目?な私は、受難週の金曜以降、イースターメッセージに取り掛かる。 受難週、苦難のしもべ、イエスさまを偲びつつ、一日、一日、マジメに主の過ごされた日を聖書の記事と...
ヨハネの福音書20:1~22
2008年3月23日
■ 神よ、どうして私をお見捨てになったのですか / マルコの福音書15:10~39 (2008-03-16)
多くの人々、その人生にあって思わず呻いてしまう時があるだろう。 普通の日本人であるなら、さしずめこう言うのだろうか。 「神も仏もあるものか・・」 しかし、仮にも神を意識した人、又は信じた人はおそらくこう言う。 「神は私を見捨てた・・」と。 ...
マルコの福音書15:10~39
2008年3月16日
■ ゲツセマネ、主の祈り / マルコの福音書14:27~36 (2008-03-09)
私の個人的な事ではあるが、3月12日、クリスチャンになって丸30年になった。 非常に長時間であり、そして短かかったと思う印象がある。 私人生の半分をイエス様が一緒に居てくださった。感慨深いものもある。主は実にあきらめないで、忍耐強く、私と一緒に歩んでくださった。まことに...
マルコの福音書14:27~36
2008年3月9日
■ 最後の晩餐 / マルコの福音書14:10~26 (2008-03-02)
イスカリオテのユダ、イエスを役人や祭司長に売った男である。 悪の象徴の様ではあるが、彼をもう少し別な角度から考えて見ると、単なる悪人ではない部分が見えて来る。 私は12人の弟子の中で、ユダは他の誰よりも強い期待をイエスに対して持っていたと思う。但し、あくまでユダ個人の勝...
マルコの福音書14:10~26
2008年3月2日
■ 教会とクリスチャン、その光りと影 / ローマ人への手紙16:17~27 (2008-02-24)
韓国の青年達、25名が帰って行った。 10日間の滞在であったが、素晴らしい触れ合いを貰った。貰ったと思っていたら、あちらさんは、こちら以上だったらしい。 分からないなぁ、主にある民族の触れ合いは・・・ すべてイエスさまからの贈り物だからだろうな、と思う。主に感謝しよう...
ローマ人への手紙16:17~27
2008年2月24日
■ 神と人、そして自分と和解せよ / 第二コリント5:17~21 (2008-02-17)
私たちの教会はこの時期、韓国の青年達が滞在し、日本人への伝道のために働いている。短期宣教師を体験し、世界の失われている魂のためにイエスの御名を叫び、自分たちの生涯をキリストと生きるべく貴重な時間を過ごしている。 10年ほど前、シンガポールから青年達がやって来た。日本の幾つか...
第二コリント5:17~21
2008年2月17日
■ 義理も人情も超えた世界 / ローマ人への手紙16:1~16 (2008-02-10)
「ローマ人への手紙16章」には多くの人名が登場する。 パウロが一人一人を挙げて、人々の神への奉仕と信仰の姿勢を語る。今とは全く事情の異なる厳しい環境で、彼らは命さえ惜しまず捧げたが、伝道者や宣教師たちはそういった人たちのバックアップ無しでは使命を達することは出来なかった。 ...
ローマ人への手紙16:1~16
2008年2月10日
■ 思いどおりに行かない時も、なまじ捨てたもんじゃない / ローマ人への手紙15:18~33 (2008-02-03)
実に!この世は自分の思い通りに行かないものだ。 時として、何もかも・・しかし、だからこの世である。 そう思う自分とは、各も身勝手な自己虫である。 この虫さえ、追い出せたら、もう少し暮らしやすい人生なのであろうが。 ...
ローマ人への手紙15:18~33
2008年2月3日
■ あの方の血を忘れない / ローマ人への手紙15:8~17 (2008-01-27)
私達は、あの方(イエス・キリスト)の血によって、罪赦され救われた。 ここを忘れて、クリスチャンの「クの字」も存在し得ない。 そして、ついつい忘れがちなことになってしまう場合が多いがこの部分もである。 だから、聖霊は働かれない。...
ローマ人への手紙15:8~17
2008年1月27日
■ キリストの弟子を生む教会 / 第一コリント3:1~11 (2008-01-13)
昔、私はクリスチャンなって6年間、教会学校の教師などを通して奉仕に恵まれた。 しかし、自分自身、恵みの中にありながらもいまひとつ、信仰生活に灯りが見えなかった。 「クリスチャンの人生って、こういうものだろうか?」という思いが、いつも胸につかえていた様だった。 ...
第一コリント3:1~11
2008年1月13日
■ 人生に置く石、エベンエゼル / 第一サムエル記7:1~13 (2007-12-30)
私は25歳で小さな工場を開設し、二年後に株式会社とした。 だが、社長とは名ばかりで、実態は単なる作業員であり、事務員であり、使い走りであった。 無いものだらけであった。信用なし、資金なし・・・有るものは借金、若さ、ヤル気のみ。 ...
第一サムエル記7:1~13
2007年12月30日
■ クリスマス・神の謙遜 / ルカの福音書2:1~20 (2007-12-23)
神は小さくて無抵抗な赤ちゃんをこの世に送ってくださった。 彼は家畜小屋のような場所で産声をあげた。 人々は忙しさに追われ、彼のことなど知る由もなかった。 若い両親と、羊飼いに見守られて、この時間の世界の空気を吸った。 ...
ルカの福音書2:1~20
2007年12月23日
■ 主よ我にみ言葉を与えたまえ / イザヤ書6:1~13 (2007-12-16)
アドベント三週目は、預言者がテーマである。 預言者は神さまからの言葉を預かった。 自分が何を思い、何を感じて語るのではない。 主が「言いなさい」と語られたことを人々、民衆、権力者、更には、王にさえ向かって言わねばならなかった。だから、人の顔色を伺って物事を言う人間など...
イザヤ書6:1~13
2007年12月16日
■ 希望を支えてくださる方は神 / イザヤ書9章1~6 (2007-12-09)
希望は人生に活力を与える。 実現するかどうかよりも、それを持ち続けられることは素晴らしいと思う。 必ず手に入れる人は、やはり諦めなかった人達である。どんな世界であっても諦めないで求め続けることは必要だ。但し、なぜか希望はスルリと逃げて行ってしまうことも多い。...
イザヤ書9章1~6
2007年12月9日
■ イエスは再びは生まれない / マタイ24:1~14 (2007-12-02)
クリスマス、不思議な季節である。 クリスマスには4つの日曜を含むアドベント(待降節)がある。救い主を待ち望む思いに導かれるが、神の愛を思い、私達は内側へ内側へと導かれるような思いに導かれる。 小さい赤子、まったく無抵抗な赤ん坊として、この罪の世にお生まれになったイエスを...
マタイ24:1~14
2007年12月2日
■ 何が悪くて何が良い・・・ / ローマ人への手紙14:13~23 (2007-11-25)
最近の出来事、お二人の生き様からあらためて人間を考えた。 そのうちの一人、89歳になった彼女は、社会の子ども達の教育に使って欲しいとの思いで、何と10億円を現金で寄付した。文字通り札束の山であった。これを基金にして、国債?であろうか債権を買い、その利息、年間で数千万が子ど...
ローマ人への手紙14:13~23
2007年11月25日
■ 生きるも主、死ぬるも主 / ローマ人への手紙14:1~13 (2007-11-18)
感情、神さまが人間に与えられた大切なものである。 動物も感情を持っているが彼らは喜ぶことと怒ることだけである。つまり、私達が表現するところの「感情的になる」といった範囲だけである。 しかし、人間には情操面、つまり気分とか情動、態度、価値づけ、といった霊性を伴うものが与え...
ローマ人への手紙14:1~13
2007年11月18日
■ 皇帝の下で、神のみ前で / ローマ人への手紙13:1~14 (2007-11-11)
私たちは日本国憲法の下に置かれ守られつつ、また、法律の下に置かれ罪を裁かれる。 いつの時代、どこの国であっても、人はここにおいて守られ、そして裁かれる。 パウロの書いた書簡、ローマ人への手紙から、ローマにいるクリスチャンたちの不安が感じられる。 ...
ローマ人への手紙13:1~14
2007年11月11日
■ Obey the LORD (主に従いなさい) / ローマ人への手紙12:3~21 (2007-11-04)
韓国オンヌリ教会のハ・ヨンジョ牧師が書いておられた。 信仰の最高峰は何か? 忍耐?寛容?赦し?どれも素晴らしい! しかし、それらは最高峰ではない。 最高峰は「従順」であると。 人間が嫌うもの。それは従順である。 ...
ローマ人への手紙12:3~21
2007年11月4日




