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■ わが子よ、神を失うな / 箴言3:1~12 (2007-06-10)
教会には年に一度、子供の日がある。乳児、幼児を含む子供達に、未来への祝福を祈る日である。 幼い魂、そこに親の願い、また希望と夢もある。だが、子供が親の思いどおりになる時間など、本当に僅かな時間でしかない。子供には子供の思いがあり、選択権もあるが、間違った人生の選択をしない...
箴言3:1~12
2007年6月10日
■ Because He lives / ローマ人への手紙8:1~14 (2007-06-03)
旧約の律法は何のために与えられたのか? 誰も守れないものであるなら、その存在の意義は何なのか? いつもそう感じてしまうのは私だけであろうか。 そこで、私個人としての考えを言葉にしてみた。 「ユダヤ人に与えられた、神からの律法の目的は?」 ...
ローマ人への手紙8:1~14
2007年6月3日
■ あなたは救われていますか / ローマ人への手紙7:15~25 (2007-05-27)
「私は本当に惨めな人間です。」とパウロは嘆いている。 ローマ7章はすべての人々に向かって、心を裸にしたキリスト者を見る。 誰が他人に向かってこういう言葉を言い得るだろう。恥ずかしい思いを振り千切って捨て、自分のおぞましさをあからさまにしている。普通は少しでも自分を飾りた...
ローマ人への手紙7:15~25
2007年5月27日
■ Freedom (自由) / ローマ人への手紙7:1~14 (2007-05-20)
連れ添った夫が亡くなった場合、その妻は自由な身となる。 同様に律法に縛られていた人が、その律法のために身代わりに死んでくれる、という人が仮にいたら、その人は律法から開放されて自由な身となる。 通常の世界では、身代わりになれる人もいないし、それだけの価値を持っている人間もい...
ローマ人への手紙7:1~14
2007年5月20日
■ 母の日・人生の主語は神 / 創世記12:1~21 (2007-05-13)
聖書の登場人物、すべてが「神の人」であったわけではない。 多くが間違いを犯し、人間的な判断で生きていた。読むこちら側としては、安心もあり、共感を覚える。彼らは人間の弱さを暴露しつつも、神の助けと祝福の中に生かされた。結局、我々となんら変らないのかも知れない。ただ一つ、神の...
創世記12:1~21
2007年5月13日
■ 不自由な私 / ローマ人への手紙6:19~23 (2007-05-06)
あなたは、本当に自由ですか?と、聞かれたら、私は不自由です、と答えるしかない。 自由とは何でも出来て、したいことができる。言いたいことが言えるのではない。聖書は誠の自由がどういうものかを教えている。 聖書は言う。「何をしても良いのだが、すべてが益ではないし、徳にもならな...
ローマ人への手紙6:19~23
2007年5月6日
■ My Master / ローマ人への手紙6:5~18 (2007-04-29)
マスター(主人)・・・日本には特に大勢おられる?そう、実に大勢いるのだ。 喫茶店のマスター、スナックのマスター、バーのマスター、すし屋の??? 若い日、まだイエスさまを知らなかったころ、実にたくさんのマスターが私の頭の中にいたが、今はただお一人、のマスターのみである。...
ローマ人への手紙6:5~18
2007年4月29日
■ 泥沼に咲く蓮の花 / ローマ人への手紙5:20~6:4 (2007-04-22)
蓮(ハス)は泥沼で生きる。そして夏になると綺麗な花を咲かせる。花に見とれて目を水面下に移すと、足も埋まりそうな泥沼である。根は腐りもせず、水面に浮かぶ葉と花に栄養を補給している。不思議な光景であると思った。 あの汚い泥沼から、美しい大きな花が天を仰いで満開である。 ...
ローマ人への手紙5:20~6:4
2007年4月22日
■ 真剣勝負 / ローマ人への手紙5:12~19 (2007-04-15)
私は日本刀が好きである。困った牧師、と自分でも思った。 10年ほど前、やたらと欲しくなった(実は今でもそう思っている)。 それも多少は時代がかった古い名刀、しかし、とても高価すぎてあきらめた。もう一つ、盗まれたりして悪用されるのも怖いし、やめたのである。...
ローマ人への手紙5:12~19
2007年4月15日
■ 墓の石は既に転がしてあった / マルコの福音書16:1~14 (2007-04-08)
もし、イエスがよみがえられなかったとしたら、どうなった? 1、新約聖書は無かった!・・・イエスの復活があったればこその福音だからである。 2、キリストの教会が無い!・・・福音がなければ、福音を伝える場所も集まりもないからである。 ...
マルコの福音書16:1~14
2007年4月8日
■ 傍観者 / ルカの福音書23章20~38 (2007-04-01)
私達はやはりイエスの「傍観者」だと思う。 この受難週のとき、日々主の足跡を追いつつ、考えてみた。 日曜、エルサレムに入られるイエスは、子のロバに乗っておられた。平和の王は白馬ではなかった。群集は手に手に棕櫚の葉を持って、道に敷いたりして王を。 ...
ルカの福音書23章20~38
2007年4月1日
■ 限界 / マタイ26章27~43 (2007-03-25)
総じて人はイエスに躓く、と思う。「躓くほどにイエスに信頼しているか?」とも聞きたい。 私など、仮にそう聞かれたら、思わずシドロモドロになりそうだ。イエスを信じない人は、既に躓いているのだろうか。そうとも言える。躓くくらい、強くイエスに賭けてみたい。 ...
マタイ26章27~43
2007年3月25日
■ 信仰は失うもの / ルカの福音書22:20~34 (2007-03-18)
生きるもの必ず死がある。その別れは辛く、悲しい。 聖書は死が忌むべきものとあるが、私の中では死は尊いとさえ思う。それは喜びなどでは決してないが、尊い人生、生きる尊さを瞬時に失わせる死の力は、凄まじい。命を閉じさせてしまう死は、生きとし生ける者にとって、不可解であり、絶対で...
ルカの福音書22:20~34
2007年3月18日
■ こんな私・・にもかかわらず / ローマ人への手紙5:6~11 (2007-03-11)
日本語の「愛」と言う表現は、非常に貧しく淡白な範囲しか伝えられない。男女間の愛、親子、友人、師弟間などにも用いるが、日常的に会話の中では、先ず用いていない。それは、この国の風土、風習、生き方が、人間愛に対し、狭くて浅い部分しか捉えようとせず、感情、情緒と言った優しさや表現を...
ローマ人への手紙5:6~11
2007年3月11日
■ こんな世界があったんか! / ローマ人への手紙4:25~5:5 (2007-03-04)
デイリー・ブレッドと言う黙想用の小冊子がある。毎日のメディテーションに助けとなる聖書のみことばも書いてある。聖書を読む前に、これらの案内書の言葉は、メインディッシュの前の出される前菜的な役目を果たしてくれる。座りました、はい、いきなりのステーキでなく、サラダやスープをいただ...
ローマ人への手紙4:25~5:5
2007年3月4日
■ 不安と不信の谷を渡り / ローマ人への手紙4:13~24 (2007-02-25)
クリスチャンの中には、本当に主にまかせきっている人がいる。偉いなあ・・と感心してしまう私である。「いつになったら、あんなふうになれるんかなあ」とも思うが、別になれなくてもいいか、と冷め切っている部分もある。 信仰生活にあっていつも思うことがある。それは、心の中に絶えず存在し...
ローマ人への手紙4:13~24
2007年2月25日
■ 不労所得 / ローマ人への手紙3:28~4:15 (2007-02-18)
「信仰」という文字、実に的確な文字を選んだ、と思う。信じて仰ぐ、または信じて礼拝する意味だろうか。 仰ぐ、まさに天を仰ぐであろう。地上には最早、希望も策もない。仰ぐは天のみか、人間の限界の果てに現れる行動かも知れないが、信仰とは実にその様なところであろう。人間が立ち回って...
ローマ人への手紙3:28~4:15
2007年2月18日
■ わからずとも神は愛 / ローマ人への手紙3:19~27 (2007-02-11)
人間に神はわからない。わからない筈であるし、わかろう筈もない。一番に困ることは、なまじわかった積りでい続けることであろう。わかった積りでいると、必ず何かで躓く。 実に神は理解する対象ではなく、生涯をかけて信じるお方である。これしかないし、これが最善と思う。実に不思議で、触...
ローマ人への手紙3:19~27
2007年2月11日
■ 義人はいない、一人もいない / ローマ人への手紙2:25~3:18 (2007-02-04)
祈り、これはクリスチャンが神からいただいた最高の賜物である。ジョージ・ミューラーは19世紀のイギリスにおいて、施設を作り数十年間にも掛けて、万にも及ぶ孤児達を養った人であるが、子供達の食事代から施設の建物、土地代に至る膨大な費用と時間と労力は、すべて「祈りだけ」で神から与え...
ローマ人への手紙2:25~3:18
2007年2月4日
■ イエスが福音! / ローマ人への手紙2:16~29 (2007-01-28)
福音は理論ではない。勿論、思想でもない。そして宗教でもない。 福音はイエス、である、と聞いて「な~んだ、やっぱり宗教か」と思われるだろう ところがどっこい、宗教ではない。宗教は、その宗教が求める生き方を見習えば、ご利益がやってくる、と教える。だが、イエスは違う。どこが・...
ローマ人への手紙2:16~29
2007年1月28日




