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■ 我が思いのままにVS主のみ旨のままに / 第一列王記21:1~15 (2006-08-13)
アハブは北王国イスラエルの王、その妻イゼベルは隣国シドンの王の娘である。二人は相性としては最適であったと思う。ただ一つ、イゼベルは創造主を知らず、信ぜずの女性であったが、このことがイスラエルに大きな過ちをもたらした。誠に創造主を知らぬ存ぜぬものは、その人の人生を狂わせ、他者...
第一列王記21:1~15
2006年8月13日
■ あなたはそこで何をしているのか / 第一列王記19:8~21 (2006-08-06)
預言者エリヤは死を望んだ。 彼は心身共疲れ果てていた。今、彼の目に映るものはむなしい人間世界だけであった。 考える気力もなかった。彼は目を閉じた。閉じこもった場所は洞穴である。彼の魂の居場所に相応しいものであった。洞穴には先がない。向こうがない。行き止まりである。丁度、...
第一列王記19:8~21
2006年8月6日
■ 燃え尽きた預言者 / 第一列王記19:1~8 (2006-07-30)
「主よ、もう十分です。私の命を召し上げてください。私は決して特別な者ではないのですから・・・」 エリヤは呟いた。三年に及ぶ壮絶な戦いが彼を燃え尽きさせたのか。生きること、神のことばに聴き従うこと。偶像礼拝に明け暮れる人間社会との戦い。国を憂い、創造主への帰属のために一人戦...
第一列王記19:1~8
2006年7月30日
■ 信ずる天(そら)には雲も湧く / 第一列王記18:36~46 (2006-07-23)
エリヤはカルメル山で、バアルという偶像の預言者450人を向こうに回し、たった一人主の前に立った。彼は祭壇を建て直し、生贄を並べ、水をくまなく注いで濡らした。祭壇のすべてに水をかけた。人間が火をつけようにも燃えようがなかった。彼は天を見上げ祈った。 ...
第一列王記18:36~46
2006年7月23日
■ 450対1 / 第一列王記18:14~40 (2006-07-16)
イスラエルの王、アハブは神からの預言者エリヤに言った。「エリヤ、お前か、イスラエルを煩わすものは。」 エリヤはアハブに言った。「あなたこそ、この国を煩わす者です。主の命令を捨てたのです。」 この日本はクリスチャンを煩わす。この国はクリスチャンにとって非常に生きにくい世であ...
第一列王記18:14~40
2006年7月16日
■ 生かされて / 第一列王記18:1~15 (2006-07-09)
人は神にあって生かされている。だから生きている。 自分の力で命を延ばすことなど出来ない。自分の知恵で長生きなど出来ない。人間はあたかも自分の努力と知恵、鍛錬と節制によって長生きしたりしていると錯覚するが、決してそうではない。勿論それなりの影響を体に与えることは出来ても、命...
第一列王記18:1~15
2006年7月9日
■ 父の日礼拝・エデンの東に生きる父達へ / 創世記5:1~24 (2006-06-18)
昔、「エデンの東」と言う映画が作られ、一世を風靡した。特に出演したジェームス・ディーンという男優さんは、そのカリスマ性と演技力で多くの人々から親しまれた。惜しくも若くして散ってしまったが、今もなお数多くのファンがいる。 父の日の今日、世のお父さんのご苦労を思う。特に日本では...
創世記5:1~24
2006年6月18日
■ 神に責任を問うた預言者 / 第一列王記17:16~24 (2006-06-11)
クリスチャンにとって大きな試みは、いかなる時も変らぬ信仰をもって行き続けられるか否か、ということだと思う。順風満帆の日に比べ、天と地、雲泥の差ほどの自分を知らされる場面が人生には訪れる。だが、神は私達に対し、人の弱さを教えたいのだと思う。そうでなければ、人は己の力と能力を過...
第一列王記17:16~24
2006年6月11日
■ これがペンテコステ / 使徒の働き2章1~8、36~42 (2006-06-04)
ペンテコステ、イスラエルの暦では『五旬節』と言う。農耕暦とでも言おうか。しかし、そこにまつわる意味は多様なものがある。だが、この日、イエスの弟子達や彼を信じる者達、そして後世のキリスト教会にとって忘れることの出来ない事件が起こった。故に教会はその日を覚えるためにペンテコステ...
使徒の働き2章1~8、36~42
2006年6月4日
■ そこで生きよ / 第一列王記17:7~16 (2006-05-28)
ケリテ川の水が枯れたとき、神はエリヤに仰せられた。 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」 エリヤは主が言われるところの「そこ」を目指した。 ...
第一列王記17:7~16
2006年5月28日
■ わたしは烏に命じてあなたを養う / 第一列王記17:1~9 (2006-05-21)
預言者エリヤは、時の悪王アハブに向かって神の裁きを告げた。それはここから二、三年の間、イスラエルに雨が降らない、というものであった。神はエリヤを人里から離れたケリテ川のほとりに身を隠し、カラスの運ぶ肉とパンで養われた。王の手が及ばない場所であった。川の水を飲みながら、エリヤ...
第一列王記17:1~9
2006年5月21日
お母さん、涙の向こうに神の祝福が見えますか / ルツ記1:1~2:3 (2006-05-14)
そこに人が存在するとき、必ず母がいる。 人は誰でも、母の体質、遺伝子、性質を幾らかであろうと、必ず受け継いでいる。 母は偉大である。母は強く、優しく、逞しい。子供を守るその本能に父親は勝てない。子供を思いやる心に父親は勝てない。自らのお腹に身籠った命を育て生み出した力と...
ルツ記1:1~2:3
2006年5月14日
■ わたしはいのちのパンである / ヨハネの福音書6章35~40 (2006-05-07)
イエスは言われた。「わたしは命のパンである。」(ヨハネの福音書6章35節) 命のパンが与えたもの、それは一人の人間の全人的な範囲に及ぶ変革である。 およそクリスチャンであるならば、信じる以前とは大きな隔たりがある筈だ。もし、以前と大差ないと言われるとしたら、それはキリス...
ヨハネの福音書6章35~40
2006年5月7日
■ 主は生きておられる / 第一列王記17:1 (2006-04-30)
「神は生きておられる!アーメン?」(そう思いますか? ) 「主は生きておられる!アーメン!」(はい!そうです。主は生きておられます!) クリスチャンの喜びはここである。ここにしかない、とさえ言い切れる。 気持ち、心、意識の中に「主は生きておられる」がしっかり居座ってい...
第一列王記17:1
2006年4月30日
■ 荒地も耕地に / マタイ13章3~9、18~23 (2006-04-23)
神の恵みは多種多様、限りない方法と状況をもって我々に降り注ぐ。問題は私達の側で、そのことに気がつかないだけである。マタイ13章の種まきのたとえは、神がすべての人に対し、あらん限りの恵みを給わっていることを語っている。有名な農民画家、ミレーの「種蒔く人」の絵があるが、よく見る...
マタイ13章3~9、18~23
2006年4月23日
■ まさか・・・・ / ルカの福音書24:1~32 (2006-04-16)
イエスは十字架で殺された・・・ 釈迦は老衰で死んだ。 ムハンマドは病気で死んだ。 天皇陛下も死ぬ。 大統領も首相も、ノーベル受賞の医者も、どえらい人も死ぬ。 みんな死ぬ。 そして誰もよみがえらなかった。 だが、イエスは三日目によみがえった! ...
ルカの福音書24:1~32
2006年4月16日
■ 三悪人 / ルカの福音書23:33~48 (2006-04-09)
丘に三本の十字架が寝かせられた。極悪人がそれぞれ釘付けられてゆく。ゴーンゴーンと響く槌音は人々の心まで貫くようだ。人間をつけたまま、十字架が立ち上がる。掘られた穴にドスンと落とされたとき、犯罪人の顔がゆがみ、思わず呻く。図太い釘は手首と足の穴を更に広げた。全体重が釘だけで支...
ルカの福音書23:33~48
2006年4月9日
■ 十字架につけろ!の裏面 / ルカの福音書23:8~23 (2006-04-02)
時のローマ総督ピラトとユダヤの王ヘロデは仲が悪かった。世界の権力者ローマに媚び、その裏側では忌々しくも思っていたであろうヘロデを見透かし、毛嫌いしていたピラトであったが、イエスを十字架に送るに際して二人は仲良しになった、と聖書は語る。幾ら仲が悪くても、共通の敵をつくれば見方...
ルカの福音書23:8~23
2006年4月2日
■ 主こそ我が岩、我が救い / ルカの福音書22:43~62 (2006-03-26)
キリスト者は自由である、とつくづく思う。と、同時に今も肉的性質の虜になっている部分もある。昔は自分がサタンの支配下にあることさえ、気がついていなかったが、それこそがサタンの狡猾極まりないところである。だが、既にキリストが罪からの開放をしてくださったのであるから、上を見上げつ...
ルカの福音書22:43~62
2006年3月26日
■ 熱心・二態(にたい) / マルコの福音書14:27~36 (2006-03-19)
熱心、大いに結構である。一生懸命、一心不乱、すべて素晴らしい。私など何に向かい合ったらそうなれるのか、知りたいくらいである。だが、私自身の過去を振り返って見ても、そういう時が必ずしも無かったわけでもない。あったにはあった。...
マルコの福音書14:27~36
2006年3月19日




