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■ この内なる思いを知るは私のみ? / マタイ11:2~11 (2012-12-09)
バプテスマのヨハネ、新約時代のエリヤと称される人だった。 幼い時から一切俗世間で暮らすことなく、荒野に身を引き、イナゴを食べ、野蜜を食べ、ナジル人として生きた。 女性、金銀、権力というリーダーの大敵には全く興味も縁もなく、ひたすらメシヤの通られる道備えをした人だった。 ...
マタイ11:2~11
2012年12月9日
■ よくなりたいのか? / ヨハネ5:1~25 (2012-10-14)
ベテスダの池、ときたま動く水面に(間欠泉か?)人々の熱い視線が注がれていた。 水面が動いた瞬間、一番先に水に飛び込んだ人は癒されると信じられていた。 色々な病をもった人々が列を作って並んでいたが、そこに38年間もの間、床に伏せった足のなえた男性に疲れた表情が見てとれた。...
ヨハネ5:1~25
2012年10月14日
■ 彼をどこに置いたのか / ヨハネ11:18~44 (2012-09-30)
イエスには心おきなく交流の出来る一つの家族がいた。 それがべタニヤ村に住む三人の兄弟姉妹であった。 ラザロ、長女のマルタ、次女のマリヤ、この三人もイエスが訪問されることをいつも心待ちにしていた。 あるときラザロが病に冒され、数日伏せっただけで急逝した。 ...
ヨハネ11:18~44
2012年9月30日
■ 私達を突き動かす力 / 使徒の働き8:1~8節と23節~40節 (2012-09-09)
原始キリスト教会は喜びと呻きが交互交錯し、若しくは一体になって襲って来た時代に置かれていたと思う。 そして使徒行伝を読む時に、「姿かたちが見えない方」の圧倒的な存在感を感じるのである。 存在感どころか、その方を認めずして使徒の働きの意味と記録は何も無い。 ...
使徒の働き8:1~8節と23節~40節
2012年9月9日
■ AWESOME GOD / マルコ5:1~20 (2012-09-02)
「AWESOME(アッサム)GOD」という英語がある。 しかし訳すに相応しい日本語が見つからない。 凄い?・・・表現力が乏しい? 素晴らしい?・・・軽過ぎだし、おとなし過ぎる。 ぶったまげた・・・品が無い? つまり、そういう神さまが、この国になかったというか、それ...
マルコ5:1~20
2012年9月2日




