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■ アシュラム / ガラテヤ人への手紙2:20 (2008-10-12)
今年も教会アシュラム(祈りと聖書の言葉の前に静まる集会)が巡ってきた。 ひたすら、聖書から主の言葉を聴く。 日常の生活と環境から離れて、主の前に静まる。 教会でこの様な集会が持てることは実に恵みである。 分かち合いとは、お互いによく知り合った者同士には難しいものがある...
ガラテヤ人への手紙2:20
2008年10月12日
■ 弟子はしもべ / マルコの福音書9:33~35 (2008-10-05)
ある日、イエスの弟子たちは道々歩きながら、仲間内で誰が一番偉いのか、熱心に話し合っていた。 私達もそういう議論は大好きだ。そして、そういうことを議論できる関係も「いいもんだ」と思った。程度は低いが、心の中にしまっておいて、思いを巡らすよりも、アッケラカンで良いと思った。 ...
マルコの福音書9:33~35
2008年10月5日
■ 古いものは過ぎ去った / 第二コリント5:17 (2008-08-03)
日曜の夕方、たわいないような内容であるが、毎週胸が熱くなるようなテレビ番組がある。 タレントの一人が日本の田舎に行き、一般の家庭に一晩の宿を求め、泊まらせてもらい、夕食をいただき、その家族と交流をし、朝が来てお返しになんらかの作業をし、別れを惜しみながら送り出してもらう。...
第二コリント5:17
2008年8月3日
■ 信仰と不信仰は紙一重 / マルコ9章14~29 (2008-06-15)
私は実に不信仰者である。但し、無信仰者ではない。 でも、他者から「あなたは不信仰です」と言われたら、きっと腹が立つと思う。 まあ自分が信仰に篤いとか、信仰深い、などと自答自問、自覚、自認、そして否定しているうちは、実に可愛い(幼い)者であると思う。 ...
マルコ9章14~29
2008年6月15日
■ リバイバルがやって来る / ヨハネの福音書4章1~42 (2008-06-08)
リバイバル集会が近づいている。 リバイバル・・言葉本来の意味は、宗教的に用いるなら「生き返ること」である。 大衆の信仰心が再び活性化する現象、またそれを目的とする運動を言う、と辞書にある。 リバイバルが必要の無いキリスト者はいない。 ...
ヨハネの福音書4章1~42
2008年6月8日




