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■ ヨシャパテの道・勇気 / 第二歴代誌20:1~13
彼間違いなく弱虫に見えた。 それは何かにつけ直ぐに神に祈り、主に拠り頼んだからだ。 果たして彼は本当に弱かったのか。 傍から見ればそう思えるだろう。 世の側から見ればそう見えるだろう。 しかし、私から見れば彼は勇者である。 実に真の勇者である。 ...
第二歴代誌20:1~13
2015年2月8日
■ ヨシャパテの道・落とし穴 / 第二歴代誌18:1~8 (2015-02-01)
人生には多くの落とし穴がある。 明らかに見える穴があるが、殆どの落とし穴は見えない場合が多い。 大概、落ちてから気がつくが、常に時既に遅しである。 だから信仰の道は二人で行くのが良い。 つまり相棒だ。 米語で言えばBUDDY(バディ!と発音する)である。 ...
第二歴代誌18:1~8
2015年2月1日
■ ヨシャパテの道 / 第二歴代誌17:1~12
イスラエルの王の中で、私が非常に気に入っている人がいる。 ヨシャパテという王であるが、彼の人間性と主の前における生き様が堪らなくいい。 そもそも、男が金と力、地位と権力をすべて手中にした場合、大方が碌な生き方をしない。 あのダビデがそうだった。 ...
第二歴代誌17:1~12
2015年1月25日
■ 苦しむは恵み / 第Ⅱ歴代誌12:1~14
仮に私が非常な困難の中に置かれたとして、どの段階まで「主は正しい」と言い続けられるだろう。 実際、自分にそういう時が来なければ分からない問題であるが、私にとってはまことに自信の無いテーマである。 耐え切れなくなったら神を呪うだろうか。 ...
第Ⅱ歴代誌12:1~14
2015年1月11日
■自分か神か / 第二歴代誌13:1~18
信仰生活の取り組みで大切なことは「普段」ということと、「不断」ということである。 文字は違うけれど、意味合いは似ている。 絶え間なく、いつもどおり、と言う様な意味である。 キリストを想う?思う?人の気持ちは日々異なるものだ。 それは私が人間であるからだ。 ...
第二歴代誌13:1~18
2015年1月4日




