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■キシュの子、サウル/第一サムエル9:1~16
「遠い昔、イスラエルに王が存在しなかった時代、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」士師記21:25 この様な時代は既に幕が下りる時間帯に入っていた。 それが士師記という時間帯であった。 ヤハウェが見つけだし、拾い上げ、育てたアブラハム、イサク、ヤコブ、そし...
旧約聖書/第一サムエル記
2017年7月23日
■彼は罪びとの客となられた/ルカ19:1~10
私が信仰をもってしばらくして、新約聖書の中で最も身近な存在と感じたのは、イエスの12弟子の筆頭ペテロでもあったが、それよりも身近に感じたのは「ザアカイ」という取税人であった。 彼の人生は「金が神の人生」だった。 とても分かり易い人生だったが、反面ザアカイは人々から実に毛嫌い...
新約聖書 /ルカの福音書
2017年7月16日
■全面降伏/第二歴代誌20章1~13
39歳の頃、教会の弟子訓練で出会った聖書のことば。 第二歴代誌20章、ユダの王ヨシャパテという人の信仰だった。 彼は自国の宗教改革を成し遂げた素晴らしい信仰者だった。 あるとき周囲の国々が同盟を結び、群れを為し、大軍勢となってユダの国を取り巻き、攻め入ろうとしていた。...
旧約聖書/第二歴代誌
2017年7月9日
■私たちを見なさい/使徒3:1~16
イエスが伝道を開始された初期の頃、初めてペテロに出会われた瞬間、彼の目をじっと見て言われた。 「ヨハネの子、シモン、わたしはあなたをペテロ(岩)と呼ぶ。」 岩は何年経っても岩であって、砂ではない。 イエスはペテロの未来人間性像と、その内面を見通されたのである。...
新約聖書/使徒の働き
2017年6月18日
■死ぬも生きるもキリストと/コロサイ3:1~10
私は自由です、とは何をもって自由と言うのだろう? 何でも出来る、何でも言える、遊ぶことも楽しむことも何だって。 昔は、これが自由だと思っていた。 しかし、聖書において真の自由を学んだ。 そして理解した。 あれは自由ではなく、端に自由を取り違えた罪の結果であったと。...
新約聖書 コロサイ人への手紙
2017年6月11日
■あなたは誰のもの?/ヨハネ17:1~11
例えば、世の中の夫婦の心を覗いて見たとして・・・ 結婚したての男女の思いは・・・ 私はあなたのもの、あなた私のもの、であったとする。 実に美しかったのである、あの頃は。 欲しい物など何も要らなかったのではない、買えなかっただけである。...
新約聖書 / ヨハネ福音書
2017年6月4日
■先は読めても神は読めず/マタイ21:23~32
或る日、イエスが宮で人々に教えておられた時のこと。 祭司長と民の長老たちがイエスのそばに来て聞いた。 「あなたは何の権威によって、このようなことをしておられるのか? いったい誰がその権威を授けたのか?」 イエスは言われた。...
新約聖書 マタイ福音書
2017年5月28日
■チャレンジ/ロマ書4:16~25
チャレンジ(挑戦)とは、「特に困難なこと、未体験のことに取り組む」という意味である。 つまり慣れきってしまったことや、過去に体験していることに対しては、チャレンジと言うべきではないのであろう。 平坦に「私は神を信じています。」と言う人ならどこにでもいるであろう。...
新約聖書 / ローマ書
2017年5月21日
■母たちの軋轢/創世記16:1~15
クリスチャン・ホームと言うと、先ず両親がクリスチャンであることだろう。 やがて子供達も教会に行き、キリストを信じると本来のクリスチャン・ホームとなる。 旧約はキリストが来られる前であるから、せいぜい「神を信じる家族」とでも言おうか。...
旧約聖書/創世記
2017年5月14日
■いつか誰かも歩んだ道/創世記13:1~11
神はご自身の計画を達成するために地上の人々を選ばれる。 例えばイエスを生まれさせるためにヨセフとマリヤという特別な二人を必要とされた。 神の条件は幾つもあったから特別と思った次第である。 先ず、イエスの父となるヨセフはダビデ王の末裔であること。...
旧約聖書/創世記
2017年5月7日
■その中心は神である/ヘブル3:13~4:2
『ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです』ヘブル4:2 およそクリスチャンになってから、最も難しいと感じたことは、聞いた聖書のことばを実践出来なかったことである。...
新約聖書/ヘブル人への手紙
2017年4月30日
■盗まれたイエス/マタイ28:1~20
イエスが殺され墓に葬られて三日目の朝、婦人たちは遺体に香油を塗るため暗いうちに家を出た。 墓についたころ日が昇り始めた。 見ると墓の蓋石は横に転がしてあり、中にイエスの遺体はなく、空っぽだった。 だが、その事前に番兵たちはそのことを知り、祭司長に申し出ていた。...
新約聖書/マタイの福音書
2017年4月23日
■主はよみがえられた/ヨハネ20:1~16
キリスト教の中で、奇跡の中の奇跡といえば、完全に死んだ筈のイエスが三日目によみがえられたことである。 では、そのことを信じたからクリスチャンとなったのか、と言えばあながちそうではない。 おそらく、多くのクリスチャンが同じことを言うと思う。...
新約聖書 / ヨハネ福音書
2017年4月16日
■私を思い出して下さい/ルカ23:24~48
ある日曜の朝、約15年も礼拝から遠ざかっておられた、ある姉妹から電話があった。 今は遠く南の小笠原諸島父島で暮らしているとのことだった。 島に一つだけある教会のメンバーになりたいので、教会籍を送って欲しいとのことだった。...
新約聖書 /ルカの福音書
2017年4月9日
■私という罪/ローマ書7:15~25
死は人間にとって最も重く厳しく切実なテーマである。 教会では様々な礼拝を執り行うが、葬儀ほど礼拝堂の空気を引き締める時は無い。 それは礼拝の目的が死を第一に取り上げているからだ。 亡き人や信仰の足跡を忍ぶことは最重要課題かと思うが、第一はやはり神ご自身が最重要課題であること...
新約聖書 /ローマ書
2017年4月2日
■私は葡萄の枝/ヨハネ15:1~10
「わたしはブドウの木、あなた方はその枝である。」ヨハネ15章 といわれるイエスに向かって「こんな枝で宜しいのですか?」という思いと、「駄目なら切ってください。」という思いが執拗に浮かんでくる。 どうもへそ曲がりで、ひねくれた枝だと、自分でも思う。...
新約聖書 / ヨハネ福音書
2017年3月26日
■彼は誰?/マタイ16:13~23
イエスはご自身のことを敢えて「人の子」と幾度も言われた。 それは彼だけの独特な呼び方だった。 それは人々がイエスの為さる不思議なわざを見て、メシヤとかキリストが意味する「救い主」をどう位置付けするかによって最も懸念された点であった。...
新約聖書 / マタイ福音書
2017年3月19日
■神を納得させた男/創世記22:1~24
今年の3月12日は日曜日である。 同じ巡り合わせは7年後にやっては来ない。 閏年があるため大体は11年後になる。 このこだわりは、私が神に捉えられた日であったから忘れられない日となった。 1978年3月12日、そこから39年目が今年にあたる。...
旧約聖書/創世記
2017年3月12日
■私のイエス・私のキリスト/創世記35:6~29
ヤコブという人は、どこにでもいる普通の人であると考える。 特に悪くもなく、特に偉人でもない。 そこで彼にまつわる記事を読んで直感的に感じたことは「狡猾な男」というイメージである。 それは読む人が、いつの間にか自分を正しい者とか、良い人として決め込んでいるからだろう。...
旧約聖書/創世記
2017年3月5日
■私を背負う神/創世記35:1~5
申命記32章(新共同訳) 『いと高き神が国々に嗣業の土地を分け、人の子らを割りふられたとき、神の子らの数に従い、国々の境を設けられた。 主に割りふられたのは、その民「ヤコブが主に定められた嗣業」。 主は荒野でヤコブを見出だし、これを見つけ、これを囲い、いたわり、ご自分の瞳の...
旧約聖書/創世記
2017年2月28日




