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■ イエスが教会 / マルコ1:21~28
あの朝、私は自分から聖書を手にとり、何の気なしに創世記の話、ノアの箱舟のことが目に止まった。 読み出すと中々面白い話である。 「俺はクリスチャンになどならないから」と自らに言い聞かせてたのだが・・ その朝、牧師は新約聖書から何やら話していたが、私は興味など微塵も感じな...
マルコ1:21~28
2015年6月7日
■ 30年に何思う / ローマ12:1~18
今日は教会開始30周年記念の日である。 よくぞ!よくぞ、イエスさまは我らを見捨てられず、あきらめず、忍耐と寛容をもって、この小さな神の家族を守って下さった。 仮にこの世の物差しで計るなら、無責任、無重力、経験と技術不足、過剰債務に陥り、もはや営業停止から倒産に至っていて...
ローマ12:1~18
2015年5月31日
■ 期待されて30年 / 第一コリント3:1~11
当教会はこの春、創業というか開業といおうか、30周年を向かえることが出来た。 業は業でも天の父に期待されて始まった大事業である。 これはトヨタ自動車よりもソフトバンクよりも偉大で尊い事業である。 第一、 金儲けではない。人の魂を救う御奉仕である。 ...
chofuminami
2015年5月17日
■ 主は葡萄の木、私はその枝 / ヨハネ15:1~10
一般的に葡萄の枝には三種類がある。 実のなる枝、そして実のならない枝、最後に枯れ枝。 枯れ枝なら間もなく自然と折れて落ちる。 実のならない枝なら即、根本から切り落とされる。 「実もならねぇくせに、栄養だけ取りやがって。」と、怒りっぽい農夫なら言うだろう。 ...
ヨハネ15:1~10
2015年5月3日
■ ザアカイ! / ルカ 19:1~10
クリスチャンであればこそ罪の自覚は当然だが、同時に人間であればこそ得手な者は少なくないと思う。 しかしこの事に関する限り、敢えて苦味を堪え取り組むべきである。 聖書の言葉は真理である。 ルカ7章「多く赦された者は多く愛し、少し赦された者は、少しだけ愛する。」 ...
ルカ 19:1~10
2015年4月26日




