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■ 彼の言葉を聞きなさい / マルコの福音書9:1~13 (2005-08-28)
イエスはある日、弟子のうち三人だけを伴って高い山に登られた。その時、弟子達の目の前でイエスの姿が変わった。白く輝くみ姿になられた、と聖書は語る。この世のどんな薬をもってしても現せない「白色」であったと語る。「白さ」は何を語るのだろう。それは、罪なき色である。また、神の輝く栄...
chofuminami
2005年8月28日
■ こんな器・・・になりきれない私 / マルコの福音書8:34~38 (2005-08-21)
イエスはある日、弟子達と共にたくさんの人々、つまり群集を前にして語られた。それは「キリストの弟子」としての招きの言葉であった。『誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』(マルコ8:34)。...
chofuminami
2005年8月21日
■ 主の日が来る / マタイの福音書16:13~23 (2005-08-14)
聖書全体が絶えず未来に向かって宣言して来たことは、「主の日がくる」というメッセージである。 「主の日」は二通りの世界の到来を意味する。一つは神の支配が始まることであるが、これはクリスチャンにとってこの上なく、嬉しい日である。もう一つは目を疑うような未曾有の恐怖がやってくる...
chofuminami
2005年8月14日
■ 私の信仰・他者の良心 / コリント第一の手紙10:14~33 (2005-08-07)
クリスチャンになると、自由が束縛される、と言うイメージがどうしてもつきまとう。 「あれは駄目、これも駄目」というふうに思われているし、排他的にも見られている。 だが、聖書はそんなことは言ってもいないし、クリスチャンとて然り、決して束縛もされていない。勿論、ある教派の場合...
chofuminami
2005年8月7日
■ 神の誠実、これをなしたまえり / マルコの福音書8:22~26 (2005-07-31)
イエスと弟子達ががベッサイダという村に来たとき、村人が目の見えない男を連れてきて頼んだ。「主よ、どうかこの男にさわってやってください!」イエスは男を人々から引き離し、彼にふれると、男の目は開き、生まれて初めて見る人間の姿は、「まるで歩く棒のようです」と言った。イエスは村に入...
chofuminami
2005年7月31日




