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■ 人の性(さが)と神の愛 / 創世記16:1~16 (2011-02-20)
どれほど偉い人であっても、つまり人格者、地位と教養のある人でも、人間である限り「性」(さが)を備え持っている。 これは生まれつきであるので、致し方ない。 良い向きもあれば、そうでない向きもある。 本人にとっては辛い場合が多い。 ...
創世記16:1~16
2011年2月20日
■ 約束の実が見えない日々 / 創世記15章1~7 (2011-02-13)
世の中、約束ごとには様々ある。 金銭の貸し借り、仕事の受発注、簡単な口約束、そして結婚、考えてみるとすべて「信用」に起因する。 信用しきれないから担保物件を求められる。 住宅ローンなど、金融機関は消費者をまったく信用していないのであり、まあそれが銀行の身の保全であるか...
創世記15章1~7
2011年2月13日
■ 恐れるな。わたしはあなたの盾である。 / 創世記15章1節 (2011-02-06)
神さまは私の人生に「二つのハードル」を置かれたと思う。 一つ目はイエスを心にお迎えすること。 つまり、イエスを信じ、救われることである。 二つ目は人生を通して、神への信頼度を高めること。 ノホホンと生きていて、神への信頼度は高まらない。 ...
創世記15章1節
2011年2月6日
■ 生々しく生きて、枯れて死ぬのも悪くない / 申命記10:12~22 (2011-01-30)
旧約聖書が語る神さまと、新約聖書の教える神さまが同じ方だと思えないときがある。 そう感じる人は決して少なくないであろう。 確かに旧約聖書は律法的である。 だが、旧約の厳しい言葉も、神の愛の迫りゆえと思うと、納得できる。 ...
申命記10:12~22
2011年1月30日
■ 語られるに時があり、聴くに時がある / 創世記13:1~18 (2011-01-23)
アブラムは神に導かれて、カナンへと入って行った。 ある場所、モレの樫の木の所に来た。 当時、そこにはカナン人がいた。 そこで主は彼に現れた、と聖書は言う。 そして仰せられた。 「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」 アブラムは主のために祭壇を築いた。 ...
創世記13:1~18
2011年1月23日




