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■ 神の杖を手に / マルコの福音書6:7~13 (2005-05-22)
先ず、この聖書の箇所には「イエスが12弟子を呼ばれた」と書いてある。私達はいかなる奉仕の場所であろうと、イエスに呼ばれたのである。神が呼ばれたから、礼拝の奉仕がある。司会者、賛美のリーダー、聖歌隊、メッセンジャー、献金の係り、礼拝の受付、礼拝後のお茶の用意、すべて神さまに呼...
マルコの福音書6:7~13
2005年5月22日
■ あなたもイエスに躓く / マルコの福音書6:1~6 (2005-05-15)
日本語、特に漢字を一番初めに当てはめた人のことを、時々考えては「なるほどなあ」と一人感心してしまう。勿論、私の自分流の解釈によるものだが・・例えば「躓く」と言う文字。足を書いて質と言う字を並べている。足が取られて動けない、つまりとらわれ状態の心、思い、行動、であろうか。私は...
マルコの福音書6:1~6
2005年5月15日
■ 母の日礼拝・神の人、ドルカスの死 / 使徒の働き9:36~43 (2005-05-08)
ヨッパという町にクリスチャンの集まりがあり、その中心的な人物である女性がいた。彼女の名はドルカス。女性でありながら、原始キリスト教会の時代で早くも「女の弟子」として語られている。彼女は独身の婦人達を助け、施しをしていた。ところが彼女はその命を召され、周囲の人々は悲嘆にくれた...
使徒の働き9:36~43
2005年5月8日
■ 汝(な)がわざを為し給え / マルコの福音書5:21~43 (2005-05-01)
イエスの前に一人の男がひれ伏した。彼の名はヤイロ。会堂司である。彼の12歳になる娘が死に掛かっていた。もはや、医者のなす術もない。完全に危篤状態に陥ったのである。ヤイロはこの時まで、医者だけを頼りにしていたのであろうか。この事態になって初めて「ナザレのイエス」なら直してくれ...
マルコの福音書5:21~43
2005年5月1日
■ 向こう岸で起こったこと / マルコの福音書5:1~20 (2005-04-24)
イエスは何故、敢えて弟子たちと危険な目に会いながら、向こう岸へ渡ったのか。聖書を読んで行くと、やがて見えて来る深い真理に出会う。先ず、向こう岸の異邦人の村で、イエスの一行を出迎えたのは、村長や土地の権力者ではなく、「汚れた霊にとりつかれた」危険な男であった。異常な力を発揮し...
マルコの福音書5:1~20
2005年4月24日
■ 向こう岸へ渡ろう / マルコ4:35~41 (2005-04-17)
夕方のガリラヤ湖、岸辺で遠巻きにしている群集を前にして、イエスは小舟に乗られたまま話をされていたが、急に弟子達に言われた。「向こう岸へ渡ろう!」。イエスは弟子達との短い航海を求められたのか。又は向こう岸に急用を思い出されたのか。敢えて危険な夜の湖に小舟を出される意図は何であ...
マルコ4:35~41
2005年4月17日
■ いのちが死を呑み込んだ日 / マルコの福音書16:1~14 (2005-03-27)
約二千年前のその朝、世界は変化を開始し始めた。人類の歴史の変革が始まったのである。この朝、道理も物理も生化学も文化の価値観も、変わらざるを得ないものとなったのである。それは、小さな国の狭い場所で起こった。人間が瞬時に変えられるきっかけとなる要因となる事件起こったのである。 ...
マルコの福音書16:1~14
2005年3月27日
■ 十字架・あなたのために、私のために / ヨハネの福音書19:14~35 (2005-03-20)
イエス・キリストは「私達のために十字架で死んでくださった」のではない。 彼は、「あなたのため」に「私のため」に死なれたのである。これは、言葉遊びではなく、事実なのである。1個人のために彼は死んでくださったのである。ここを離れてしまうから、信仰が揺さぶられたりすると、もろく...
ヨハネの福音書19:14~35
2005年3月20日
■ 神よ、あなたからの杯は飲めません / マルコの福音書14:27~36 (2005-03-13)
最後の晩餐を終え、イエスと弟子達はオリーブ山へ向かった。その途上、イエスは弟子達に言った。「あなたがたは皆、躓く。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊はちりじりになる。』と書いてあるから。」ペテロは即座にイエスに言った。「私だけは決して躓きません。」...
マルコの福音書14:27~36
2005年3月13日
■ 信仰は神への応答 / マルコの福音書14:16~26 (2005-03-06)
イエスが選んだ12人の弟子達。彼らはイエスに呼ばれた者達である。過ぎ越しの祭りの食事を共にする夜。それまでも、ぶどう酒とパンを主と共に食事する日々は多かったであろう。しかし、その夜だけは違った。イエスが言われた言葉は、弟子たちの誰の心にも辛かったであろう。「あなたがたのうち...
マルコの福音書14:16~26
2005年3月6日
■ 全能者にまかせよ / マルコの福音書4:26~29 (2005-02-27)
人が地に種を蒔くと、寝起きしているうちに、やがて種は芽を出し、成長し収穫にいたる。神の国はそのように人の手を借りずとも存在し、やがて魂の収穫に至る。全能者は人間よりはるかに不思議な世界で働いておられるのである。 人は知らぬ間に人間的に成長もするし、また高慢にもなる。だから、...
マルコの福音書4:26~29
2005年2月27日
■ 升の中の居心地は? / マルコの福音書4:21~25 (2005-02-20)
イエスは言われた。「あかりを持ってくるのは、升の下や寝台の下に置くためか?燭台の上に置くためではないか。隠れているのは現されるためであり、覆い隠されているのは、明らかにされるためである」と。 これは今までわからなかった神の奥義が、今イエス・キリストの到来によって、明らかに...
マルコの福音書4:21~25
2005年2月20日
■ 鍬を恐れぬ畑地となれ / マルコの福音書4:1~20 (2005-02-13)
イエス様は、天の国のすべてを「たとえ」をもってお話されました。「たとえ」は私たち聞く側を二つに振り分けます。先ず、心を創造主に開いて聞くと、とても分かり易いのですが、心が閉じられている人は、ますます分からなくなるのです。この世の道理と常識感で考えると、信じられるものではなく...
マルコの福音書4:1~20
2005年2月13日
■ 夕方からで1デナリ? / マタイ20:1~15 (2005-02-06)
天国の主人(神)はどんな方なのでしょう?イエスは例えをもって話しておられます。 朝日が昇ったころ、広場に主人が行くと、そこに労務者がたむろしていました。 主人は一日1デナリ(当時の1日分の労賃)の約束で、ぶどう園に送り込みました。更に9時、12時、5時にも同じように労務者...
マタイ20:1~15
2005年2月6日
■ イエスの兄弟、イエスの姉妹 / マルコの福音書3:31~35 (2005-01-30)
イエスが大勢の人たちに囲まれているのを心配したマリヤと兄弟たちは、人を遣わしてイエスを迎えにやりました。イエスのそばに居た人は、「あなたのお母さんと兄弟が外であなたを待っていますよ。」と言ったところ、イエスは言われました。「わたしの母とは、わたしの兄弟とは誰ですか。神の御心...
マルコの福音書3:31~35
2005年1月30日
■ 聖霊に曳かれて / マルコの福音書3:20~30 (2005-01-23)
「牛に曳かれて善光寺参り・・」こんな言葉を聞いたことがありますか? 牛に・・ではなくて、聖霊に曳かれて(引っ張られる、引きずられるという意味)、主に仕える場面がクリスチャンには少なくない、と思います。自分としては、こういうふうにとか、後になってからとか考えたいのですが、聖...
マルコの福音書3:20~30
2005年1月23日
■ 苦しみの意味がわからない時 / ルツ記1:1~22 (2005-01-16)
キリストを信じる者たちにとって、最も苦しいことは「神のされることがわからない時」だと思います。あなたにそのような経験はありませんか?大なり小なり、そのような経験がおありだと思いますが・・・いかがでしょう? 今週は「フォーカス・オン・ザ・ファミリー」の代表である、ジェイムス...
ルツ記1:1~22
2005年1月16日
■ 2005年の礼拝ごころ / 創世記12:4~13:4 (2005-01-09)
「日曜だから教会へ行く。」「小さい時から行ってっているから。」「習慣だから・・・」 あなたは何故、日曜に教会へ行くのですか?と聞かれて、上のような答えをしたら、おかしいですよね。そこには礼拝への思いも、意味も語られていませんし、創造主への感謝もありません。自分があって、日...
創世記12:4~13:4
2005年1月9日
■ 御国は更に近づいた / マタイ24:1~14 (2005-01-02)
主にあって生かされているクリスチャンたち! 2005年が明けました。そして、私たちは去年より、更に大きく一歩を天の御国へと歩ませていただいたのです。実に、おめでたい!のです。ハレルヤ、主をたたえます! イエスと弟子達はエルサレム神殿を見上げていました。そのきらびやかさと荘...
マタイ24:1~14
2005年1月2日
■ アフター・クリスマス / ルカの福音書2:21~38
クリスマスの時期、多くの日本の家々でイルミネーションを飾る昨今となりました。ライティングされた寒い冬の夜は、不思議な思いに浸らされます。でも、どの家もイエスを歓迎する雰囲気はありません。サンタクロースと雪ダルマだけです。ここにも、救い主は歓迎されていないのです。なにか二千年...
新約聖書/ルカの福音書
2004年12月26日




